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鄭和艦隊 ① 永楽帝

鄭和艦隊 ① 永楽帝 [2021年10月13日]

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1219年からのジンギスハンの大征西でモンゴルは満州からロシアまでの大帝国を築いた。さらに1271年には中国へ進出し「元」を起こした。

ジンギスハンの征西  元

それから約100年、国内での権力争いや、飢饉で国力が衰え、中国から故郷に戻るモンゴル人が増加した。

 

黄巾の乱で頭角を現した朱元璋がモンゴル族を万里の長城の北に追い返し、南京を首都として新しい国「明」を起こし、初代皇帝洪武帝となった。

 明

 

洪武帝には朱標をはじめ合計4人の男子がおり、その4男が朱棣で、朱棣は北の護りを固めるため燕王となった。1932年洪武帝がまだ皇帝であったとき長男の朱標が死去した。1938年洪武帝が崩御すると長男の子が即位し、建文帝となった。建文帝とその側近たちは皇帝の権力を脅かす恐れのある親族、特におじさんたちの粛清を行った。

その矛先は朱棣にも向けられたが、朱棣はそれを逆にとり、建文帝と争った、戦いは一進一退であったが、1402年、最後に朱棣が勝利し、第3代皇帝「永楽帝」として即位した。

 永楽帝(像)

 

初代の洪武帝は民力の回復を図るため農本主義をとり国を守る政策を行った。

永楽帝は自己の権力を示すため多くの大事業、大百科事典の編纂、天文台の建設、南北運河の改修、拡張、そして大宮殿「紫禁城」の建設を行った。また大中華建設のため朝貢制度を復活し、北方への進出を試みた。しかし、北のタタール(韃靼・旧モンゴル)や西のティムールは強国で、南のベトナムは確保できたが、北や西への進出は難しかった。

そこで永楽帝は海洋進出を行うため多くの巨艦を造り大艦隊を編成した。

 


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