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鄭和艦隊 ② 馬 三保 ・ 鄭和

鄭和艦隊 ② 馬 三保 ・ 鄭和 [2021年10月27日]

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1371年、馬三保はイスラム教徒の子として雲南省で生まれた色目人であった。元の時代は色目人は華人より上とされていたが、明になると、モンゴル人や色目人は華人に捕らえられ、未成年者は去勢され明の有力者に宦官として献上された。馬三保も去勢されて、当時この地域で勢いを張っていた朱棣(後の永楽帝)に献上された。

馬三保は成人すると身長2m、体重100㎏の偉丈夫となった。朱棣に軍人として仕え建文帝との権力闘争の際朱棣を助け大いに働いた。この時の活躍が永楽帝に求められ、「鄭」姓を賜り宦官の最高位である「太鑑」に任じられた。

 鄭和像 青島・銀会海マリーナ

 

海洋進出をもくろんだ永楽帝は、まず南京近郊の龍江造船所の拡大をを行い、最大長さ140m、幅58m、9本マストの巨大ジャンクを作った。この巨大ジャンクは「宝船・ほうせん」と呼ばれた。さらにドックを増やし、宝船250隻、戦闘艦、運搬船、連絡船など合わせて数千隻の大艦隊を編成した。

復元された宝船 2006年南京

 

そしてこの大艦隊の司令官に鄭和(馬三保)が任命された。

鄭和率いる大艦隊は1405年第一次航海を行い、泉州→ベトナム→バレンパン→マラッカ→スマトラ→セイロン→カリカットへの航海を行い、1407年帰国した。この第1次航海は、宝船62隻、乗組員総数2万7800人の編成であった。

鄭和大艦隊

 


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